今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・
皆さん、お正月は どの様に過ごされました?
最近では、ほとんど見られなく なってしまいましたが
昔は、子どもたちが集まると、男の子は たこ揚げ や コマ回し、女の子は、羽根突きなどで
遊んだものですよね。
室内では、かるた取り で楽しんだ方も多いのでは ないでしょうか?
ふと、私が 遠い昔の記憶で 思い出したのが ‘百人一首’の 歌がるた。
よく知られている遊び方の ひとつは、「散らし取り」と呼ばれるもの。
百枚の取り札を散らして並べ、一人の読み手が読み始めた歌と同じ取り札を素早く取る
といぅルールです。
また、「坊主めくり」では 歌と関係なく、順番に取っていった読み札に描かれている絵が
男性か 女性(姫)か、あるいは、坊主かで手元に ためられる札の数が大きく左右されます。
特に、坊主の札の中でも「蝉丸(せみまる)」の札が出ると、全員が手元の札を戻さないと
いけないといぅルールも あった様です。
そんな強烈なルールの為か、百人一首と いえば蝉丸、といぅ印象の方も いらっしゃるのでは?
実は、この蝉丸といぅ人物のことは 詳しく分かっていませんが、味わい深い歌を残しています。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢(あふ)坂の関」
それぞれの思いを抱えて、旅の途中に行き交う人々の様子を 呼んだ 歌です。
さて、この百人一首、平安時代末期から鎌倉時代を生きた 歌人
藤原定家(ふじわらのさだいえ・ていか)が 選んだものと されていますが、そのきっかけは
ご存じでしょうか?
実は、武将であった宇都宮蓮生(うつのみや れんしょう)が、京都嵯峨の小倉山(おぐらやま)
にあった 別荘の襖(ふすま)の装飾として、色紙の作成を 定家に 依頼したのだそぅです。
定家は、飛鳥時代から鎌倉時代まで、およそ600年間に わたって詠まれた和歌の中から
百首を選び 色紙に したためました。
その時、定家が住んでいた山荘もまた、小倉山にあった為、後の世になって「小倉百人一首」
として 人々に 広く知られる様になったといいます。
最近では、「ちはやふる」 といぅマンガや映画が 話題に なりましたね。
すっかり、デジタルな時代と なった今日ですが、古き 良きものは、先の時代まで
引き継いで いきたいものですね。
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