新涼の候。
さすがに 朝晩は 涼しくなり、虫の音が 耳に 身持ちの良い 季節と なりました。
日に日に 秋も 深まりますね。
さぁ、「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・
9月20日は、彼岸の入り。
春分の日(3月20日頃)と 秋分の日(9月23日頃)を ‘中日(ちゅうにち)’
として、前後3日間の7日間 のことを ‘彼岸’ といいます。
そして 初日を ‘彼岸の入り’ と言い、最終日を ‘彼岸の明け’ と呼んでいます。
地方によっての違いはありますが、先祖を供養し、ぼた餅や おはぎ、お団子や
海苔巻き、いなり寿司などを 仏壇に供えます。
彼岸といぅ言葉は 仏教用語から 出来たもので ‘梵語(ぼんご)’ の ‘波羅密多
(はらみた)’の訳だと 言われています。
正しくは ‘到彼岸(とうひがん)’ つまり、生死を繰り返す迷いの世界、‘生死輪廻
(しょうじりんね)’ である ‘此岸(この世)’ を離れて、苦しみの無い 安楽
‘涅槃常楽(ねはんじょうらく)’ な 彼岸に至るといぅ意味です。
その内容にも 仏教の影響が多く見られますが、他の仏教国には無い 日本固有の
信仰です。
彼岸の起源は、平安の時代に さかのぼるそぅです。
この頃、政権を争う 戦いが長く続き、その不安から人々の間では、‘1052年に
仏の教えが消滅してしまう’ といぅ ‘末法思想’ が広まり、社会現象になり
始めました。
信者達は、現世で報われないのなら、せめて死んでから 極楽浄土へいける様に
と、すがるよぅになりました。
初めは浄土宗の人たちだけの信仰だった様ですが 、あまりにも 戦乱が長く続いた為
一般の人にまで広がりました。
仏教の教えには、何でも程々が良いといぅ ‘中道’ といぅ考え方があります。
その考えと 合致して出来たのが、彼岸だと 言われています。
春分と秋分の日は、昼夜の長さが同じになります。
また、暑くも寒くもない、程々の季節であり、 太陽が真西に沈む時期なので
西方の極楽浄土に おられる 阿弥陀仏を礼拝するのに ふさわしい、といぅ考えから
次第に 人々の生活に浄土を しのぶ日、そして、あの世にいる祖先を、しのぶ日
として 定着していった様です。
こぅ考えてみると、昔の世から 春夏秋冬、折々で 先祖を 敬う事や 墓参りなどは
欠かせ ないもの となっている訳ですね。