冬の八甲田山は 本来は 冬の重装備が必要だったのですが、指導部の無謀さ から
兵士は 軽装のまま 行軍を開始した為、猛吹雪の中で道を失い、寒さと 飢えと
疲労の為に 遭難してしまいました。
25日になって 199名の死亡が確認され、日本の冬山登山史上、最も多くの
遭難者が 発生した事件となりました。
事件は 新田次郎氏により、‘八甲田山死の彷徨’ として 1971(昭和46)年に
小説化され、更に この小説を原作とした 1977(昭和52)年の 映画
‘八甲田山’ で 一般に 広く知られる事となりました。
地図とコンパスのみで 厳寒期の 八甲田山走破を 行う事になった 雪中行軍は
途中、天候が悪化。
携帯した食料類は 凍りついてしまい食事を取れない兵士が 大多数を占める
事態となりました。
装備の不安と 天候が更に悪化する事を恐れ、駐屯地への一時帰営を協議
しましたが、下士官などの反対により、行軍を続行する事になります。
猛吹雪の中、道に迷い、体感温度が -50℃の中、ほとんど 不眠不休で
絶食状態である為、多くの兵士は 凍死していきました。
最終的には 身動きの取れなくなった部隊の 先頭で 教導していた指揮官は
‘ここで部隊を解散する。各自、勝手に青森へ帰るように。’ と命令した
のだそうです ・・・そんな事って・・・やる瀬ないですね。
尚、陸上自衛隊青森駐屯地に 駐屯する 第5普通科連隊も 毎年、厳冬期に
八甲田山系での 冬季雪中戦技演習を 行なっているそぅです。