酷暑の候。
梅雨明けも 間近。
これから、日本各地で 数年ぶりの 花火大会 や 盆踊りなどの 夏祭りが
開かれる処も 多いのではないでしょぅか。
日本の夏と いえば、華やかな 花火や 盆踊りの お囃子の音色が欠かせませんね。
子どもの頃は、ただ楽しかった夏祭りですが、大人になると 様々な 思い出と共に
ちょっぴり 切なさを 感じたりもします。
皆さんは、どんな行事に “日本の夏” を感じますか?
「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・
こぅ 暑くなると ついつい、冷たいものに 手が 伸びてしまいますが
ソフトクリームも そんな中の 一つでは ないでしょぅか?
1931年、アメリカで 小型の製造機が 開発されると、ソフトクリームは
瞬く間に 人気と なりました。
アイスクリームの 約マイナス 20℃に 対し、軟らかな ソフトクリームは
マイナス5℃程度。
風味 や 舌触りを 保つのが 難しい為、作った その場で 売れる 製造機が
世に出るまでは、一般の 消費者の手に届くことは、困難な ことでした。
日本に入ってきたのは、戦後の 1951年(昭和26年)のことです。
進駐軍が 東京・神宮外苑で開いた 米国独立記念日の イベントで、やがて
大都市を 中心に 広がって いきました。
50年代の中頃には、ちまたの そば屋などにも 製造機が置かれ、当時
普及 し始めた テレビで プロレスや 野球中継を 観戦しながら、ソフトクリームを
なめる人々を 多く見かける様に なりました。
かけそばが 一杯、20円程だった 当時、ソフトクリームは 30~50円 だった
そぅですから、けっこう いい値段ですよね。
1970年の 大阪で 開かれた 万博では、ソフトクリームの 売店に 行列ができ
評判は 全国に 広がって いきました。
子ども心に 万博で 初めて食べた ソフトクリームには 衝撃を 受けたものです。
当時の記憶は 50年以上を 経た今でも、マックの ハンバーガーを 食べた時と
同様に、今でも 鮮明に 覚えているものですね。
’えんリフォーム‘ シュウプロ は、時どきの 出会いを 大切に!
出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。
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