よもやま話

ところてん(心太)

仲夏の候
7月
に入り、早、半月が 経ちました。
早々と 梅雨が 明けたかと思いきや、戻り梅雨の 様相ですね。
また、コロナの波も 再来の 兆しもあり、スッキリと 晴れない 今日この頃です。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

天草(てんぐさ)を煮溶かし、冷まし固めた ‘ところてん’

透明感と つるっとした 喉ごしは、夏の暑さを 涼やかに癒してくれる一品ですね。
江戸の時代から、天草の本場・名産地といえば、伊豆の稲取なんだそぅですよ。

夏になると 食卓にも 登場する ‘ところてん’
天突き といぅ器具で 麺状に押し出し、酢醤油や辛子で、さっぱりと 食べるのが定番。
材料は、天草という海藻で 煮溶かして、冷ますと 固まる 性質を持っています。
全国の 様々な海域で採れますが、とくに伊豆半島の稲取産は コシが強く、コクのある
ところてん が出来る為、江戸・沼津藩の時代から、海女による天草漁が盛んに行われて
きたそぅです。
天草は 採った直後の乾燥も重要で、稲取では明治中期から 干し場に やぐらを組んで
竹の 簀の子の上に 広げて 乾かす方法を開発。
砂が付かず、水切れや風通しが良い環境で作られた質の良い「稲取の さらし天草」は
名産地の 評判を 更に高めました。

現在でも 漁や乾燥の方法は勿論、ところてん作りの  基本的な工程は、昔ながらの
手作業が多いのだといいます。
時間も 手間も かかりますが、良質の天草から生み出される豊かな 風味と 口当たりは
本場ならではの 格別な味わい。

日本の食品の中でも、ところてんは 大変に 古い歴史を持っています。
飛鳥時代に 制定された「大宝律令」で、「心太(こころぶと)」といぅ名で登場していますし
当時は 上流階級の 高級な食べ物でした。
その語源は、天草が “煮凝る” 様子を 表わしたものといわれ、その後、呼び名を変え
‘ところてん’ となったのは 江戸期のこと。
庶民の間にも広がり、納涼茶屋などで 売られていました。
冷たいスウィーツなどない時代、ところてんは、暑気を癒す、有り難い 食べ物だったこと
でしょぅ。

「清滝の 水汲みよせて ところてん」といぅ、芭蕉が 詠んだ 名句が あります。
目に口に 滝の様な涼しさを誘う、ところてんの 魅力を 詠んだものです。

天草と水だけで作る ところてんは ノンカロリーで、見た目の 涼しさだけでなく、実際に
体を冷やす作用も あるそぅです。
酢醤油を かけるのも、酢に含まれる クエン酸を摂り、醤油が汗で失った 塩分を補うといぅ
理に かなった食べ方。
また、アガロースといぅ 食物繊維も 豊富に含まれ、理想的な自然食品です。

黒蜜を かけて食べても、などといぅ 食べ方も・・・
でも やっぱり、ところてん には、酢醤油が 良くないですか? どぅです?

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出会えた ご縁を 大切にしたい。
そんな 気持ちで 日々、仕事に 当たって おります。


アジサイ(紫陽花)

入梅の候。
水無月・6月

関東地方では、既に 梅雨に 入っていますが、毎日、 はっきり しない

天気が続き、何かと うっとぅしいですね。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

しとしと 降る雨に、ぼんやりと 浮かぶ アジサイが 美しい季節になりました。
雨の中で、みずみずしく咲く アジサイの美しさは、なんとも 良いものですね。

そんな アジサイは、長く咲く間に花色が微妙に変化していくことから ‘七変化’ とも
呼ばれています。
この 妖艶とも いえる 花色の変化も、アジサイの魅力の 一つです。

私たちが 普段よく目にする アジサイは、西洋アジサイです。
日本原産の ガクアジサイが 18世紀末に ヨーロッパへ渡り、ひときわ 大きく華やかに
品種改良されて、日本に 逆輸入されたものです。
西洋アジサイは 花色も豊富でピンク、赤、紫など沢山の品種があって、とても 人気があります。
アジサイといぅと、青い色を思い浮かべますが、秋のオランダには、土手に咲く赤い
アジサイが あるそぅですよ。
季節といい 花色といい、別の花を 見る様だそぅです。

また、アジサイといえば、シーボルトを 思い浮かべる方も いらっしゃるのではないでしょうか?
ドイツ人医師のシーボルトは、オランダ国籍を装って、1823年、鎖国中の日本へ 入国し
国外追放されるまでの 6年間を過ごしました。
植物学者でもあった シーボルトは 蘭学を広めながら、精力的に日本の植物を収集して
その標本を オランダへ 持ち帰りました。
オランダの ライデン大学の植物園には、シーボルトが 持ち帰った植物を、今でも見ることが
できます。
日本から 持ち帰った アジサイの学名に 日本の妻、楠本滝 (お滝さん)の名前を つけたとも
いわれています。

アジサイを 部屋の中に飾って、楽しみたい といぅ方。
葉を 上の方の 3~4枚を 残して取り、アジサイの 茎を ハサミなどで 縦半分に割ります。
茎の中心に 白いワタのよぅなものが見えますので、ハサミなどの先で きれいに
取り除きます(=芯抜き)。
白い部分が きれいに取れたら、スーパーや 薬局で売っている ミョウバンを 芯抜きした部分に
よくすり込みます。
少し置いてから、多めの水が 入った バケツに入れて、十分水を吸わせます(=水あげ)。
花に しっかり水が 上がったら、花瓶などに 生けましょぅ。

ミョウバンがない時には、芯抜きした茎を 焦げ目が付くまで ガスコンロで焼いたり
鍋に お湯を煮立てて、日本酒などの アルコールを加え、茎を2~3cm、5~10秒程度
浸けます。
どちらの場合も、新聞紙などで 花や葉を包んで、熱が当たらない様にすること
そして、すぐに 多めの水が入った バケツに浸けて下さい。

この様にして 水あげをした アジサイは、長く 部屋の中に 飾ることができますよ。
是非、試してみて下さい。

また、花を長持ちさせる為には、生けた花瓶の水を、まめに替えてあげることが大切。
水温が上がる この時期は、水中のバクテリアを 繁殖させないことも 花を長持ちさせるコツです。

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サワラ(鰆)

暮春の候。
早いもので、暦の上では、‘ 穀雨(こくう)’ も 過ぎました。
穀雨(こくう)
とは、季節の 節目の日にあたり、田畑の 土や 穀物を 潤し
その成長を 助ける 春の雨 のことです。
しとしと 雨が降り続いた後、山野の緑は、一層、青々と茂り、夏に向けて
草花の 輝きも 増していきますね。

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さて、今日の話題は・・・

漢字に が 入った魚、‘サワラ’
サワラは 漢字では、魚偏に 春で「鰆」と書きます。
これは、春に産卵の為に 沿岸へ寄る為、人目に 付き易いところから
「春を告げる魚」といぅ意味で、そぅなりました。

国内での産地は、能登半島、相模湾、瀬戸内海が 有名。
旬は 産地により異なり、駿河湾では10月から11月。
瀬戸内海では3月から 5月 だといぅことです。
最近では、韓国からの 輸入物も 増え、私たちが スーパーなどで よく お目にかかるのは
ほとんどが これだと思います。

あらゆる魚の中で 最も 美味しいといぅ人もいます。
身肉と 皮の色が冴えないので、色を大事にする和食では タイやヒラメのよぅな
別格 扱いは されていませんが、「サワラの 刺し身で 皿をなめた」などとも いわれる様に
味は 格別です。
鮨ネタとしても 最高ですが、大変、身割れし易いので 扱いには 技術が 必要です。
「サワラぬ 神に 祟り無し」といわれて、鮨屋さん からも 恐れられているとか・・・・。

サワラ といえば、西京漬けが 一般的で よく目に しますよね。
柔らかい身が締まり、西京味噌の甘味が、上品な サワラの旨みを 引き立てます。

もしも 旬の時期に、新鮮なものが 手に入ったなら、刺し身が 圧倒的に美味です。
旨みは タイ と シマアジの 両者を併せた様で、 トロに似た 食感があります。
ただし、鮮度 落ちが 早いので、絞めてから24時間以内に 食べられる様でないと
美味しい 刺し身には なりません。
まぁ、鮨屋さんをも 恐れさせる様な 魚の刺身なんて、そぅそぅ 食べられるものでは ありませんね。

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銭湯(その2)

桜花の候。
各地では、の花が 見頃ですね、既に 桜吹雪も ちらほら。
桜の花は、散り際も 早いのが、残念です。
まだまだ、冷え込む日も残り、春爛漫とはいかぬ、今日この頃です。

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さて、今日の話題は・・・

身も 心も、ちょっと 温かくなりそぅな、‘銭湯’ の お話し、その2。

銭湯が 料金を徴収して入浴させる といぅ、商売として 日本に登場したのは
「今昔物語」にも 書かれて あるところからみると、既に 平安時代には 出現していた
ことになります。
もっとも、現在の様に、庶民の日常生活の為の施設として、使用される様になったのは
江戸時代に入ってからで、約400年程 前からです。

更に 現在の様な 銭湯の構造になったのは、明治の時代に入ってからのことで
それ以前は、混浴も多くあった様ですが、外国人から 見た混浴は、風紀が乱れる
とんでもない こととされ、明治政府は、あわてて 混浴の禁止令を 定めました。
もっとも、混浴といぅ 長い習慣が、 一斉に改められることは、当然、なかった様です。

ところで 銭湯といえば、あの、お寺 や 神社様式の 宮造り型が、まず頭に 浮かぶ人も
いるのでは ないでしょぅか?
この様式は 東京型銭湯の特徴で、意外と その歴史は 新しいものです。
関東大震災の 復興期に、宮大工の棟梁により、それまで 町家風の質素な 造りだった
銭湯を、湾曲のある、唐破風(からはふ)の付いた 豪華な 宮造りにしたところ
それが、東京中の 評判となり、以降、それが 東京型銭湯の 定番となりました。

ちなみに、地方の温泉施設に 多い宮造りは、仏教が布教を目的として、無料で庶民に
蒸し風呂 などの場を 提供したことに 由来しているそぅです。

また、銭湯といえば、浴室正面の巨大な 富士山のペンキ絵が、あまりにも
象徴的ですよね。
実は、この絵の 発祥も、東京なのだとか。
大正元年、神田猿楽町にあった、「キカイ湯」といぅ銭湯の ご主人が、お客の子供に
喜んでもらおぅと、静岡県出身の画家に依頼したところ、この画家が、富士山を描いた
ものが 始めだそぅで、これが好評となり、広まっていった といわれています。

銭湯は、その土地ごとに 構造も異なり、それらを 訪ねる旅をするのも、静かなブームと
なっているらしいですよ。

日本の入浴文化は、単に体の汚れを落とすだけではなく、浮世の垢も落とすことを
目的としている点が 特徴です。
近年、スーパー銭湯に押されて、この様な 昔ながらの 銭湯を 探すのも、大変でしょぅけど
そんな 銭湯に出かけて、身も心も すっきり、なんてのも、たまには 良いかもしれませんね。

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クリスマスローズ

浅春の候。
時の流れは早いもので、弥生 3月、気づけば、月 半ば も過ぎてしまいました。

まだまだ、冷える日も ありますけど、一雨ごとに 春の 近づく気配が 感じられる 今日この頃です。

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今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

まだ浅い、今の季節に咲く花 、‘クリスマスローズ’。 ご存知ですか?

大きく分けると 12月に咲く ‘ニゲル種のクリスマスローズ’ 
2~4月 に咲く ‘オリエンタリス種 の レンテスローズ’ に分けられます。
でも、日本では、これら総てを ‘クリスマスローズ’ と呼んでいる様です。 

クリスマスローズ
は、学名を ‘ヘレボラス’ といい、きんぽうげ科 の花です。


明治~大正時代に、薬用植物として日本に渡来した クリスマスローズは、うつむいて咲く
風情のある花姿が 茶人たちの心を捉え、‘初雪起こし’ ‘寒芍薬(かんしゃくやく)’
といぅ和名が付いて、茶席を彩る花として 一部の日本人に 愛でられる様になりました。

さて、今の時季にシーズンを迎える クリスマスローズは、季節外れにも 何故、クリスマスローズ
いぅのでしょうか?
それは 原種ニゲル が、その白い花を クリスマスの頃に 咲かせるので「クリスマスの頃に咲くバラ」
といぅ 愛称で呼ばれたからで、本当は、この ニゲル1種だけを クリスマスローズと呼び
今の時季に咲く、他の品種は、学名である ヘレボルスと 呼ぶのが正しいのですが、日本では
総ての品種を クリスマスローズと 呼ぶことが 何故か 一般的に なってしまったのだそぅです。

名称: ‘オリエンタリス ハイブリッド’ ‘レンテンローズ’ 
花色: ピンク系・緑系・赤系・紫系・黄色系・白
模様:  スポット入り(がく片に斑点が入るもの)
     ブロッチ入り(スポットより大きい斑点がはいるもの)
     網目(斑点が固まって濃く出るもの)
     覆輪(がく片の縁に色が細く入るもの)
花形: 一重咲き・八重咲き・唐子咲き丸弁(がく片の先端が丸い)
     剣弁(がく片の先端がとがっている)・中間タイプ       
開花: 2~4

クリスマスローズは、花色が豊富、常緑の多年草で、日陰にも耐える 耐寒性です。
丸弁や剣弁の花形、網目や覆輪の花弁が めずらしい 小輪から大輪まで、また、草丈も低い
ものから、高いものまで様々あります。
元来、クリスマスローズは、地味な花色で、うつむき気味に 咲くマイナーな花でしたが
品種改良が進み、和風、洋風の庭に合うことや、丈夫で花の少ない にも 咲くこともあり
近年、急に人気の ある花になりました。

クリスマスローズ、この学名の ‘ヘレボルス(Helleborus)’ は、ギリシャ語に 由来したもので
中世ヨーロッパでは、この花の 根や茎に ある毒を矢の先に 塗って狩りをしたり
悪霊払い にも使ったりしたことから 付けられた 名前なんだそぅですよ。

‘雪を被った花が、まるで、その雪を 起こす様だ’ と褒め見立てた、日本人の感性とは
ずいぶんと 違うものですね。

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雛(ひな)人形

余寒の候。
立春
が 過ぎたとはいえ、まだまだ 雪も 降ったりで 寒いですね。 

そんな中、のつぼみが ほころびだしたのを見かけ、春の訪れが 待ち遠しく
感じられる、今日この頃でもあります。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

皆さん、良く ご存知の 雛祭り の主役、雛人形
では、正式な 雛人形の飾り方 ご存知ですか?

論語に ‘天子南面’ といぅ、言葉が あります。
これは、皇帝などの偉人は、南に向いて座り北面は、臣従する 事を意味しています。
また、に向いた時に 日の出の方角。つまり 左手側)が 上座で、日没の方向西。つまり右手側)が
下座とされています。

この考え方は、雛人形にも当てはまります。
本来は、‘男雛が左、その右手側に女雛’ を飾る事が 当然の事でした。

ところが、現在、売っている 雛人形を 見てみると、そのほとんどが、‘男雛が右。その左手側に女雛’
当初とは、逆の配置になっている様です。

では、いったい なぜなのでしょぅ? 

それは、プロトコール(国際儀礼)が 右上位 だった為だと いわれています。
昭和天皇の 即位の礼が 催された時に プロトコールに従い ‘天皇が右、その左手側に皇后’ 
並ばれた事 からきている様です。
また、かつて掲げられていた、御真影(天皇皇后両陛下のお写真)も、プロトコールに従った並び方だった為
関東の雛人形業界では、それまでとは、反対の並び方にしたのだそぅです。

しかし、現在でも 伝統を重んじる京都では、本来の ‘男雛が左、その右手側に女雛’ とするところが
多く見られます。  

結局のところ、現代では、右でも左でも、どちらでも 良い様です。

そこで、男女が カップルで歩く、または、寄り添うところを想像してみて下さい。
右側に男性ならば、男性主導
女性が右側であれば、女性が主導の カップル が多いのだそぅですよ。 

さあ、皆さんの お宅では、いかがです?
女雛が 
そぅ・・・あなたの お宅は、かかあ殿下 の様ですね?

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台所

寒風の候。
早いもので、1月も 末。
大寒 も 過ぎて、一年で 最も 寒いと いわれる この時期。
いまだ、コロナの 勢いも おさまらず、体調を 崩さない様に したいものです。

「シュウプロの よもやま話」
今日も 気の向くまま、よもやま に つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

人々が 生活を していく上で、欠く事が出来ない ‘台所’

古代、竪穴式住居では、住居の中央に配置し、直火による 調理が行われていたそうですが
次第に 生活への必然性から、住居の端へと 台所の空間は 移動され、後に独立した室が
設けられる様になった、といわれています。

昔の時代、冷蔵庫などの 保存技術は 発達していませんでしたので、日光による
食物の腐敗を防ぐ 必要があった為、台所は、北側に 配置される傾向に ありました。
この傾向は、現代でも 変わらない様ですね。

台所の 語源は、平安の時代の ‘台盤所’ に 由来します。
台盤とは、食物を盛った 盤を乗せる 脚付きの台の事で、宮中 や 貴族の家で 用いられ
その台盤が 置かれる所 といぅ意味で 台盤所となり、後に、盤が 省かれて 台所になったと いわれています。
台所といぅ言葉は、鎌倉時代の 頃になると、広く 武家 や 農家などでも、かまど の ある部屋を 台所と
呼ぶ様に なりました。

今でも、この様な 土間のある 古民家は、残って いますでしょぅか?
家中、燻された 香りが 漂い、太くて 大きな 柱 や 板戸は、すすで 真っ黒。
渋い 趣が いいですね。

昔から、食 と 金銭は、関連付けて 考えられていて、金銭の やり繰りや、金銭を 出し入れする所を
台所 などと いいますよね。
また、経済的に 苦しい様を ‘台所は 火の車’ などとも いいますし、まさに 台所は、家の要と いえますね。

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虎(トラ)の ことわざ

酷寒の候。
吹く風も、一段と身に しみる季節と なって まいりました。

これからが 冬本番。厳しい 寒さが続きますね。

「シュウプロの よもやま話」
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さて、今日の話題は・・・

昔から伝わる ことわざ の中で、身近な 犬 や 猫 などを使った、ことわざ が多いのは
当然の ことですけど、今年の 干支の ことわざ も 意外と 多いのを ご存知ですか?
優に 100を 超えることわざ が あるそぅですよ。

 

そもそも、古来、の ことわざ といぅものは、ほとんどが 中国の 由来。
6世紀以降、本格的に 中国から文化を輸入した際、のイメージも 一緒に入って来た
そぅですが、その後、日本文化の 中でも、画 や 玩具 のモチーフに なったりと
の イメージは、一つの 位置を 占める様になりました。

元祖・中国で 代表されるには、古来より伝わる、‘四神’の一つ、‘白虎’ が挙げられます。
白虎は、西方を つかさどる 聖獣です。
漢の時代西の白虎北の玄武南の朱雀東の青龍、といぅ 組み合わせが 整い
古墳の壁画 や 鏡の装飾 などの 定番となりました。
また、さらに古い 殷の時代 や 周の時代には、儀礼の道具として、青銅器 や 玉器
盛んに作られ、その中には、虎を 表した 玉器や 口の中に人を 含む 虎を 表した
青銅器 
なども あります。
その頃から 既に は、神獣聖獣 といぅ位置づけが あった といえますね。

‘虎の 威を 借る 狐’・・・・・・
     他の 権勢に頼って、威張る 小物。

‘雲は 龍に 従い、風は 虎に 従う’・・・・・・
     同じ志を 抱く者は、互いに 相応ずる。
     優れた 君主の元には、優れた 臣下が現れる。

‘虎の 尾を 踏む’  ‘虎の 髭を ひねる’・・・・・
     極めて 危険な事を 行う例え。

‘虎狼は 防ぎ易く、鼠は 防ぎ難し’・・・・・
     大事は 慎重に 取扱うので 意外と 失敗はないが、小事は 油断して
               かえって 失敗しがちである。

‘虎は 千里行って、千里 帰る’・・・・・
     一日に 千里行って、千里 帰る程、勢いの 盛んな様。

‘口の 虎は 身を守る’・・・・・
      失言は、身を滅ぼす。言葉には、十分、気を つけよ。

‘虎穴に 入らずんば 虎子を 得ず’・・・・・
      虎の、すむ穴に 入らなければ、虎の子は 得られない。
      思い切った、決断を 促す時。 

‘虎穴に 入らずんば マスクを 得ず’・・・・
     虎の穴で 厳しい修行を しなければ、悪役 覆面レスラーには、なれない。
     が、虎の マスクを 被る者は、正義の マスクマン として、ちびっこの人気者と
     なることが 出来る。

っと、珍説も含め?  これらは、に ちなんだ、ことわざの ほんの 数例に過ぎませんが
どれも みな、切実な 教訓だと 思いませんか?

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小正月(こしょうがつ)

新春の候。
新年、早々の 降雪で、ことのほか 寒気、厳しい 今日この頃。
寒さが 身に沁みます。

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今日も 気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと 思います。
さて、今日の話題は・・・

‘小正月’‘女正月’ 。

元旦 から 松の内 までを 大正月と いぅのに対して、1月15日を 一般に 小正月
地方によっては、女正月と 呼んでいます。
特に 農山漁村では、昔から 古い 仕来たりがあり、今でも 様々な行事が
行われている様で、この日で 正月の 全ての 行事が終了となります。

例えば、室内に ‘もち花’ ‘まゆ玉’ といって、葉のない 柳の枝などに
花や まゆの形に なぞらえた 餅や だんご を付けたものを飾って
稲の豊作や 蚕の豊産を 期待したり、雪の上に松の葉を苗に見たてて
田植えの真似事をしたりする地方もあります。
中でも、広く全国各地で行われているものには、‘左義長(さぎちょう)’
あるいは、‘どんど焼き’ と呼ばれる 火祭りの行事があります。

佐義長とは、小正月に 行われる行事で、場所によっては、‘どんど’ ‘ほっけんぎょう’
‘ほちょうじ’ などとも 呼ばれています。
一般には、長い竹を数本立て、正月に使った門松しめ飾り書き初め などを
持ち寄って 燃やして始末するのが、この1月15日です。

元来は、‘御吉書三毬杖(ごきつしょさぎじょう)’といわれる、中国から来た
宮中の 行事を いいます。
御吉書とは、天皇の書いた書き初めで、鞠打ち遊びに使う 杖三本を結んで
これと 一緒に 御吉書を陰陽師 に焼かせたのが 始まりだとされています。

この火で 焼いた餅を食べたり、たばこに火をつけて吸うと、一年中病気に
ならないとか、自分の書き初めの灰が 空高く舞い上がれば、字が上手になる
などと いい伝えられています。
また、関東地方では、1月15日まで待たずに、松を取る7日頃に 焼いてしまう
ところもあるそうですが、これも地方によって、まちまちの様です。 

京都 や 大阪では、元旦 から 松の内 までを 男正月と呼び、これに対して
1月15日を 女正月と呼んで、男正月に 接客などで 忙しかった女性を労わり
家事万端から 解放する日としていました。
女正月といぅ名称の由来は、満月から満月までを 一か月と 定めた旧暦では
1月15日が 年の始まりとなる 満月の日でした。
女性の 年始周りは、この日、行われていた為と いわれています。

地方によっては、女の酒盛り といって、男子禁制の酒宴を開いたり、この日の
前夜を 女の 年取り といって、夕食は、男性が こしらえる 仕来たりになっている
ところもある様です。

1月15日は、お父さん や 子どもで 家事の 全てを分担し、お母さんを 家事から
解放してあげると いぅのも 良いかもしれませんね。
それよりも、お母さんを 一人に させて あげる方が 喜びますかね?

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赤穂浪士(あこうろうし)

師走の候
今年の カレンダーも 一枚と なりました。
コロナ渦 といぅこともあり、師走の 雰囲気も いまいち ですが
スーパー などに 正月飾り や 鏡餅が 並ぶのを 目にすると
年の瀬を 感じざるを 得ませんね。

「シュウプロの よもやま話」
今日も、気の向くまま、よもやまに つづって いきたいと思います。
さて、今日の話題は・・・

この時季になると、恒例?
よく テレビなどでも 目にしますよね、‘赤穂浪士(あこうろうし)’

赤穂浪士47人が 本所の 吉良邸に 討ち入りし、主君の 仇討ちを 成し遂げたのが
1702年 (元禄15年) の 12月14日(新暦15日)と いわれています。

1701年 (元禄14年) 3月江戸城・松之廊下で 播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩
(あさのたくみのかみながのり)
が、幕府の 礼式を司る 高家筆頭の 吉良上野介義央
(きらこうずけのすけよしなか)
に 小刀で切りかかる といぅ事件が 起こりました。
浅野には、即日切腹、領地没収と いぅ 厳しい 処置がとられましたが
吉良には、一切の おとがめ がなく、これが 事件の 発端となりました。

家臣たちは、主君の仇を討つ為に 綿密な 計画を練り、翌年12月14日
寅の上刻 (新暦15日午前3時頃)、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の率いる
47人が 本所の 堀部安兵衛(ほりべやすべい)宅に集まり、そこから 吉良邸へ
討ち入った といわれています。
2時間程の 戦いの末、浪士側は、一人の 死者も出さずに 吉良の首を取る事が
出来ました。

当時の世論は、武士の本懐を遂げた、赤穂浪士たちに味方しましたが、幕府は
翌年 2月4日、一同切腹 といぅ 処置をとりました。
しかし、赤穂四十七士の 一人、寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)は、討ち入りに
参加しましたが、泉岳寺に 引上げる途中で姿を消して、切腹を免れ、83歳まで
生きていたと されています。

この事件を 題材とした ‘忠臣蔵(ちゅうしんぐら)’ は、歌舞伎、演劇、ドラマ
映画などの 作品として 多く作られ、現在に 至まで 語り継がれています。
毎年 この時季になると、必ず、どこかしらで やってますよね。

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